2010年5月29日土曜日

もうひとつの道

接続法半過去について、まとめておきましょう。

  1. 語幹は、単純過去の語幹+母音(a、i、in、u)
  2. 語尾は、- sse, - sses, - ^t, - ssions, - ssiez, - ssent 
教師としては、このような説明の仕方をすることに決めました。

ただ、個人としてはまた別です。個人的には、石野好一、『フランス語の入門』(192頁)の以下の説明に勝るものはないと思っています。
語幹の形は直説法単純過去形とまったく同じです。
接続法半過去形の語尾も、直説法単純過去と同様に大きく3通りあります。
  • a型 je - asse, tu - asses, il - ât, nous - assions, vous - assiez, ils - assent
  • i型 je - isse, tu - isses, il - ît, nous - issions, vous - issiez, ils - issent
       (je - insse, tu - insses, il - înt, nous - inssions, vous - inssiez, ils - inssent)
    • u型 je - usse, tu - usses, il - ût, nous - ussions, vous - ussiez, ils - ussent
    どの型に属すかについても、直説法単純過去形とまったく同じです。
    おお、なんとシンプルな。

    ここで注目すべきは、単純過去と接続法半過去を貫く、法則の一貫性です。

    語幹を「作る」必要など、そもそもなかったのです。「直説法単純過去形とまったく同じ」と考えればすむのですから。なぜ、単純過去ではテーマ母音(a、i、in、u)を語尾の一部と考え、接続法半過去では逆に語幹の一部と考えなければいけないのか。同じ発想をすればいいだけの話ではないか。

    『フランス語の入門』のこのページを読んだとき、目から鱗がはらはらと落ちる音を、私は聞いたのでした。同時に、少なくとも単純過去と接続法半過去に関するかぎり、活用の「説明」などは何通りかの可能な説明の一つにすぎず、けっして絶対的なものではないという事実にいまさら気づかされて、愕然としたのでした。

    ここまで歯切れが良くはないものの、『新・リュミエール』も同様の操作が可能なことを示唆しています。フランス語のサイトでは、FrançaisFacile.comの説明の仕方も、これと同様です。

    2010年5月28日金曜日

    楽勝だね! 接続法半過去

    接続法半過去と言うと思い出すのが、このイメージ、

    ソルボンヌのフランス文明講座で使った教科書、Grammaire du françaisの中に出ていたものです。

    これをはじめて見たときにはちょっとびっくりしました。たとえギャグにせよ、接続法半過去で話す大時代的人物というものが想定しうるなどとは思ってもいなかったからです。これが笑いになりうるということは、こんな人がいてもおかしくはない、というのが前提にあるということでしょう。それが意外だったのです。接続法半過去なんて古文みたいなもの、くらいに思っていましたから。

    接続法半過去について、とりあえず教科書的な知識をまとめておきましょう。

    まず語幹は、「直説法単純過去2人称単数形より、- sを除いたもの」(『新・リュミエール』、321頁)です。

    ここに、以下のような活用語尾がつきます。

      - sse, - sses, - ^t, - ssions, - ssiez, - ssent

    ここですぐさま、次のようなことに気がつくはずです。
    1. 直説法単純過去と接続法半過去は、3人称単数形においてはほとんど違いがない。直説法単純過去でi(in)型、u型の活用型を取るものについては、アクサン・シルコンフレックスが加わるだけである(例: il finit → il finît、il vint → il vînt、il eut → il eût、il fut → il fût)。a型の活用型を取る動詞では、さらにもともとなかった語尾の- tが加わる(例: il aima → il aimât)。
    2. それ以外の活用形では、必ずsが2つつき、そのあとに接続法現在の活用語尾(- e、- es、- ions、- iez、- ent)がついたような形になっている。

    それにしても引っかかるのは、「直説法単純過去2人称単数形」というところです。よりにもよって、「2人称単数」です。誰も使わないであろう、という形です。おそらくは一生見ることがないであろう、という形です。

    こう言い切ってしまっていいでしょう。tu travaillasなんて、現実にはほとんどありえない形です。そんなもの、すっと思い出せますか。いちいち、思い出せなければいけないのでしょうか。これを思い出してからでなければ、接続法半過去は作れないのでしょうか。

    単純過去2人称単数を経由する説明の仕方は、ほとんどの参考書が採用しています(『新・リュミエール』以外に、『フランス語のABC』、『フランス文法の入門』、『魔法の仏文法』など)。不思議なくらいにスタンダードです。これはどこから来ているのでしょうか。フランスの文法書の中でこのような教授法が確立されていて、それに準じているのかと思ったのですが、そういうわけでもないようです。

    先に触れたGrammaire du françaisでは、単純過去の2人称ではなく1人称単数を出発点にしていて、- er動詞は、たとえばparlerだったら、je parlaiの最後のiを取る、それ以外だったら、jeの活用形から最後のsをとる、たとえばfinirだったら、je finisのsを取る、というふうに説明しています。

    もうお分かりでしょう。接続法半過去の語幹は、単純過去の語幹を、a、i、in、uといった母音のところまで含めて取り出せば作れる、というわけです(aima-, fini-, vin-, tin-, eu-, fu-, etc.)。そして、これを取り出す方法を説明する際に、単純過去の2人称単数を出発点にすると、説明が少しだけ簡単になる。出発点が2人称単数でなければならない理由というのは、じつはそれだけなのです。

    ならば、出発点をむしろよく使う形である単純過去の3人称単数にしてはいけない理由があるでしょうか。il travaillaというのは、2人称単数のtu travaillasとちがって、知っていなければいけない形です。ここを出発にした方がはるかに現実的です。

    そうすることの明確なメリットがあります。目的とする形が接続法半過去3人称単数なら、ほぼ自動的に(アクセントをつけ、必要に応じてちょこっと変えるだけで)作れてしまう(il travailla → il travaillât)。そして、それだけで住んでしまう確率は、かなり高い。さらにそうでない場合でも、接続法半過去の活用語尾について記した前述の法則の二番目を適用すればいい(je travaillasse, tu travaillasses, nous travaillassions, vous travaillassiez, ils travaillassent)。それだけの話です。

    話は、少しだけ複雑になった。でも、じつは単純な話だし、実際の頭の労働ははるかに軽減されているはずです。

    単純過去の3人称単数さえ(それだけ)知っていれば、接続法半過去は簡単に作れます。接続法半過去の活用は、じつは難しくもなんともないのです。

    2010年5月16日日曜日

    浅草三社祭

    東京で用事を済ませしのち、吾妻橋の上にて、アンリとその道連れなるオルレアンのエビちゃんと落ち合う。浅草寺付近を徘徊し、縁日などをのぞき、三社祭の御輿を見物す。エビちゃんは写真愛好家なり。


    町中でも居残りて練り歩く御輿の一団に遇う。アンリ曰く、祭り囃子の笛の音に、不思議に心魅される思ひがし、取り分けて面白きかなと。

    駒形どぜうにて、どぜう鍋を食ふ。


    その後、街を歩きまわり、餃子を食ひ、ビールなど飲むうちに深夜となり、あとの二人「六本木、六本木」などとうるさく言ひければ、これに耳を貸さず帰路に就く。

    アンリ、そののち終電をのがしたり。

    2010年5月14日金曜日

    Henri est arrivé !

    火山灰をかいくぐって(ちゃうちゃう)、アンリ、ヨーロッパ大陸脱出成功! 初来日である。


     深大寺温泉にて(暗っ!)。  その後、そば屋へ。

    2010年5月10日月曜日

    「書き言葉」って言われても

    単純過去はどういうときに使うのでしょうか。

    単純過去は書きことばの過去で、会話では用いられませんが、複合過去は会話などもっぱら話しことばで用いられます。(数江穣治、『フランス語のABC』、新装版、白水社、203頁)
    これから学ぶ直説法単純過去という時称は、文章語に多く用いられる過去の時称です。口語だけが生きたフランス語ではなく、文章語もフランス語としてまさに生きた存在です。われわれが知的にフランス文化に触れるには、欠かすことのできない時称なのです。(森本英夫・三野博司、『新・リュミエール』、新装版、駿河台出版社、311頁)
    しかし、フランス語を教えるときに、このように「書きことば(文章語)」と「話しことば(口語)」の対立だけを強調してしまうと、誤解が生じる可能性なきにしもあらずです。

    念のためにいっておくと、日記や手紙の中では、それがどれほど格調高いものであっても、単純過去は用いられません。そうしたものは複合過去で書かれます。

    「書き言葉」、「話し言葉」に関して、もう少し慎重な言いかたをしている参考書もあります。
    …単純過去は歴史的過去(le passé historique)ともいわれ、主に書き言葉で小説や物語、歴史の叙述などに用いられるのに対し、複合過去は書き言葉でも話し言葉でも幅広く用いられる。(渡辺公子、『魔法の仏文法』、駿河台出版社、205頁)
    重要なのは、まさしくこうした語りのスタイルの問題、あるいは小説・物語・歴史といった文学ジャンルの問題であるはずです。

    書き言葉といってもいろいろあるわけで、手紙、日記、エッセイは、複合過去で書かれますし、新聞記事も今では複合過去で書かれているのが普通です。また、学術書や論文の中で複合過去に出会うことは、きわめて普通のことです。……というか、なはずです。そういうことについて詳しく親切に記述している本は(よく知りませんが)あまり見あたりません。

    ただし新聞記事というのは、けっこう微妙な問題です。
    単純過去形と前過去形は、現代語では書き言葉、特に小説・物語や、歴史の記述・新聞記事の一部などでしか用いません。(石野好一、『フランス語の入門』、白水社、190頁)
    「新聞記事の一部」というのは、いわゆるルポルタージュ風のものを想像すればよいのでしょうか。

    『フランス語ハンドブック』(初版は1978年)では、比重のおかれかたが逆転しています。 
    〔複合過去は〕ある種の報道文、時には小説の地の文でも、特殊な文体的効果を狙って使用されることがある。(改訂版、白水社、227頁)
    ここでは新聞記事は複合過去ではなく単純過去を基調として書かれるものであるというのが前提になっているわけです。そして実際、例として引かれた「五月革命」についての記事(229頁)では、そのようになっている。これは思うに、つい最近までフランスの新聞記事では単純過去が主流だったということではないのか。実に興味深い問題ですが、残念ながら詳しいことは知りません。

    いずれにしても、われわれが単純過去を用いて文章を書くことは非常にまれです。それは実はフランス人にとっても同じことだと思います。論文・レポートなどの中で、ある事柄についてまとまった歴史を客観的に記述しなければならなくなった時、くらいではないでしょうか。あるいは、フランス語で小説や伝記(自伝)を書く場合とか。そういうことが必要な人は、ですからあまり多くありません。それ以外のケースは、ちょっと思い浮かびません。

    要するに「書き言葉」として習う単純過去ですが、実際に書き言葉として使うことはほとんどなく、われわれにとってはむしろ「読み言葉」として現れてくるべきものなわけです。

    単純過去のこのような「読み言葉」としての性質から、かなりの参考書が、三人称を中心とした学習をすすめています。 石野好一、『フランス語の入門』にいたっては、活用表に三人称しか掲げていない(!) いずれにせよ、単純過去の学習には、他の時制の時とははっきり異なる戦略が必要になると思います。個人的には、すでに書いたとおり、代表として三人称単数形を覚える。これで十分だと思います。もちろん、必要なら他の人称の形を導き出せるということが前提ですが。

    われわれが読書の中で単純過去の一人称に出会うのは、どういうときか。自伝、あるいは自伝的小説を読むような場合です。

    では、二人称はどうか。はっきり言って、これに出会うことは皆無に等しい。単純過去の二人称で書かれた伝記、あるいは伝記的小説というものはありうるか、と先日ちょっと夢想しました。ありうるとは思いますが、そういうものが存在するという話は聞いたことがありません。(ビュトールの『心変わり』という二人称で書かれた小説がありますが、この小説の基本時制は現在のようです。)

    自伝の文体の中でもつねに「私」が主語となるわけではないので、三人称以外の単純過去にわれわれが出会う確率は、総じていえば、一割にも満たないのではないでしょうか。ですから、je reçus, tu reçus, il reçut, nous reçûmes... などと覚えるのは、はっきり言って愚の骨頂です。一生に一度も出会わない可能性のある形を一生懸命暗誦しているわけですから。

    あとは、単純過去と複合過去の意味の違いについて一言。

    単純過去が、現在から切り離された過去を客観的に語る時制であるということはたいていの参考書に書いてあります。複合過去で語られる過去は、その反対に、現在との間に何らかの関係を保っているとされます。

    初級参考書の中でこの点について詳しく触れているのは、たとえば『魔法の仏文法』です。
    〔単純過去は〕現在とはつながりを持たない過去の出来事や行為を表す。まずはこの点で、過去の行為の結果である現在の状態を表す複合過去と対立する。(205頁)
    この本質的違いはきわめて重要ですが、同時にフランス語初級者にはとらえがたく、単純過去=客観的、複合過去=主観的という、必ずしも正確とはいいがたい対立だけが印象に残ってしまうことも多いようです。問題はしかし、「客観」と「主観」、本来の(現在と切り離された)過去と現在完了的な(現在とつながりのある)過去との間の境界線はいったいどこにあるのか、ということです。そして、この境界線が歴史的に移動してきたということを、いちおう押さえておくことが、どうしても必要になります。
    かつて複合過去形は、行為の結果が現在にまで続いていることを表していました。
    他方、現在(発言の時点)とはつながりのない過去を表すのは、単純過去形という形がもっぱら受け持っていました。
    ところが、日常生活(話し言葉の世界)では、過去の出来事が現在につながる現在完了的なことがらが多く、単純過去形よりも複合過去形の方が頻繁に使われるようになりました。その結果、話し言葉では、単に過去の出来事を表すときにも、この複合過去形が用いられるようになり、単純過去形は(現在とは切り離された)物語の世界や書き言葉に追いやられることになってしまいました。
    そういうわけで、現在では、話し言葉では、過去の出来事を表すときに複合過去形を用いるのが普通になりました。(『フランス語の入門』、128頁)
    この複合過去が単純過去の領域を徐々に浸食していくというイメージは大事だと思います。主観の領域、現在完了の領域が拡大し、客観や本来の過去の領域にまで入り込んでいったというわけです。これは「話し言葉」と「書き言葉」の間でもいえることではないでしょうか。

    最後に、さっきルモンドのページからコピーしてきた一節を引用します。昨日、アイスランドの火山活動がふたたび活発化して、ヨーロッパの空の交通に混乱が生じました。空域を閉鎖した国が出たことから、フランスでも約100便が欠航になりました。(おかげでフランスから来る予定だった友達が来られなくなった。)
    La première vague du nuage est passée sans encombre dimanche au-dessus de la France comme l'avait annoncé la DGAC qui a maintenu ouvert l'espace aérien français ainsi que tous les aéroports. Les cendres, dont la concentration n'était pas jugée assez importante pour "provoquer des conséquences sur le trafic aérien", ont été en partie dispersées par les pluies qui ont atteint la Loire dans la journée.
    火山灰の雲の第一波は、日曜日、フランス上空を通過したが、これによる問題は生じなかった。 民間航空管理局(DGAC)はこれをあらかじめ伝えており、フランスの空域は閉鎖されず、全空港は営業を続けていた。火山灰の濃度は「空の交通に支障を来すほど」深刻なものではないとみられていたが、同日ロワール地方に降った雨のおかげでその一部は消散した。
    こうした複合過去を「主観的」なり、「現在と何らかのつながりを持つ」といったように理解することは、ほとんど意味をなさないでしょう。ここでの複合過去は、単に報道文の今日における習慣として用いられているにすぎません。

    過去の時制の間のそういうニュアンスが大事になるのは、実は、単純過去を用いる文体の中に複合過去が混入するようなケースです。その話は、そのうち時間があったら書きたいと思っています。

    2010年5月5日水曜日

    単純過去の活用型と語幹

    そうこうしているうちに、二年生の講読がはじまる。さっそく、単純過去を教えなければならない羽目に。

    というわけで、単純過去についてここにまとめておきます。

    単純過去の活用語尾には、以下の三つ(あるいは三つ半)の活用型がある。

    1. a型:- ai, - as, - a, - âmes, - âtes, - èrent
    2. i型:- is, - is, - it, - îmes, - îtes, - irent (in型:- ins, - ins, - int, - înmes, - întes, - inrent)
    3. u型:- us, - us, - ut, - ûmes, - ûtes, - urent
    動詞の不定詞語尾と単純過去の活用型との間には密接な関係がある。
    • -er動詞は、allerを含め、a型。
    • -ir動詞は、ほぼつねにi型。例外は、u型になるcourirとmourir。また、venirとtenirはin型になる。
    • -oir動詞は、ほぼつねにu型。例外は、i型になるvoir、asseoir、surseoir。
    • -re動詞は、多くの場合i型。しかしu型もかなりある。たとえば、vivre、lireなど。
    多くの参考書がこの関係について触れているが、例外まで明記しているものはわずかである。(とくに新倉俊一、『問題本位 フランス文法』、白水社、56~57頁。また、島岡茂、『フランス語統辞論』、大学書林、「ねね先生のフランス語初級文法講座」も参考になった。

    「ロワイヤル」末尾の動詞活用表で確認してみたが、-ir動詞と-oir動詞について上に挙がっている以外の例外は見つからなかった。ただ、haïrでは、j'haïs、tu haïs、il haïtとつねにトレマが現れ、複数形も、nous haïmes、vous haïtes、ils haïrentとなって、nousやvousのところでもアクサン・シルコンフレックスが付かない。

    単純過去の活用を覚えるとは、それぞれの動詞について、それが単純過去において、どの活用型、どのような語幹をとるのかを覚えることにほかならない。すでに見ているようにある程度の規則性があるが、万能ではなく、個々の動詞について学んでいかなければならない。一番効率の良い覚え方は、個人的には三人称単数形を覚えることだと思っている。この点についてはまたあとで触れる。結局覚え方は人それぞれだが、とりあえず、以後単純過去を書くときには三人称単数形で代表させることにしよう。

    語幹のつくりかたに関しては、参考書によって説明がまちまちである。
    • -er動詞は、-erを取る。これはどの参考書でも変わらない。活用型は前述のようにつねにa型。
        • donner → il donna 
        • aller → il alla
    • -ir動詞は、-irを取る。-er動詞以外では過去分詞から作られる場合が多いとしてお茶を濁している参考書もあるが、-ir動詞ではこれがあてはまらないものがかなりある(ouvrir、offrir、vêtir)。原則として不定詞から-irをとってi型と覚えた方がよい。
        • finir → il finit
        • partir → il partit
        • dormir → il dormit
        • sentir → il sentit
        • accueillir → il accueillit
        • ouvrir (ouvert) → il ouvrit
        • couvrir (couvert) → il couvrit
        • offrir (offert) → il offrit
        • vêtir (vêtu) → il vêtit
      •  あとはacquérir、conquérirだけ気をつければ良いようである。この場合は、過去分詞から作らなければならない。
        • acquérir (acquis) → il acquit
        • conquérir (conquis) → il conquit
      • 前述のように、venirとtenir、およびこれらから派生した動詞はin型になる。
        • venir → il vint 
        • tenir → il tint
        • devenir → il devint
        • retenir → il retint
        • u型になるcourirとmourirは別個に覚える。
          • courir → il courut
          • mourir → il mourut
      • -oir動詞、-re動詞は、多くの場合過去分詞から作れる。この最後のカテゴリーについてこれ以上突っ込んだ説明をしている参考書は見あたらないが、場合分けして分析してみるとさらなる法則めいたものが浮かびあがってくる。以下、個人的に気づいたことをメモした上で、それぞれにあてはまる例を挙げておく。
        •  -oir動詞では、単純過去の生成は概して非常に規則的である。-oir動詞の過去分詞は原則としてuで終わる(石野好一、『フランス語の入門』、白水社、127頁)ので、これをそのまま生かしてu型の活用語尾をつけていけばよい。
          • savoir(su) → il sut
          • recevoir (reçu) → il reçut
          • pouvoir (pu) → il put
          • vouloir (voulu) → il voulut
          • valoir (valu) → il valut
          • falloir (fallu) → il fallut
          • pleuvoir (plu) → il plut
          • devoir (dû) → il dut
        • ただし前述のi型になる動詞voir、asseoir、surseoirについては、別個に覚える。
          • voir → il vit
          • asseoir → il assit
          • surseoir → il sursit
        • -re動詞のなかでu型の活用になるものは過去分詞がuで終わる動詞であり、例外は見あたらない。この場合も、単純過去の生成は-oir動詞の時のように行う。
          • vivire(vécu) → il vécut
          • lire (lu) → il lut
          • croire (cru) → il crut
          • boire (bu) → il but
          • connaître (connu) → il connut
          • apparaître (apparu) → il apparut
          • résoudre (résolu) → il résolut
          • plaire (plu) → il plut
        • ただし、-re動詞のなかには過去分詞がuで終わっていてもu型の活用にならないものがある。この場合、単純過去の生成はuをとった上で、i型の活用語尾を付ける。
          • attendre(attendu) → il attendit
          • rendre (rendu) → il rendit
          • perdre (perdu) → il perdit
          • battre (battu) → il battit
          • vaincre (vaincu) → il vainquit
        • -re動詞で過去分詞がuで終わらないものはつねにi型の活用になるが、これを語幹の成り立ちの点からさらに3つのタイプに分類できる。まずは過去分詞から語幹を作れるもの。
          • mettre (mis) → il mit
          • prendre (pris) → il prit
          • dire (dit) → il dit
          • rire (ri) → il rit
          • suffire (suffi) → il suffit
          • suivre (suivi) → il suivit
        • つぎに語幹が過去分詞でなく、直説法現在複数形と関わりがあるもの。
          • écrire → il écrivit
          • conduire → il conduisit
          • atteindre → il atteignit
          • éteindre → il éteignit
          • craindre → il craignit
          • joindre → il joignit
        • 最後に、まったく特殊な語幹を持つもの。
          • faire → il fit
          • naître → il naquit

      2010年5月4日火曜日

      「勇気を持て!」

      トゥルニエの短編では、辞書による読みの違いが生まれる可能性があまり見られなかったと書いた。ただし一箇所だけ、辞書によって訳語がかなり異なる例があった。意外な単語である。

      トゥルニエの短編の話者は、二人姉妹の姉のサラの性格を、こんなふうに描写する。

      toujours active, prévoyante et courageuse
      いつも活発で、目先の利いたしっかり者
      サラは「courageuse」なのである。こんな言葉を辞書で引こうとすら思わない人が大半かもしれない。しかしいずれにせよ、これを「勇敢」と訳して違和感を感じない人は少ないのではあるまいか。さらに辞書を引き比べてみれば、われわれは実に興味深いヴァリエーションに遭遇するのである。
      勇敢な ― attitude courageuse しっかりした態度(小学館ロベール)
      勇敢な、けなげな(ロワイヤル、ディコ)
      勇敢な、健気な、元気な、大胆な(クラウン)
      勇敢な、勇気のある; 気丈な、けなげな(プチ・ロワイヤル)
      勇敢な、気丈な; くじけない(プログレッシブ)
      要するに「courageux」であるということは、日本語の「勇敢」であることにくらべて、より広い意味をもっているのだ。「courage」と「勇気」についても同様のことがいえる。「courageux」であるとは、「qui a du courage」(Le Petit Robert)ということにほかならないからである。

      上の比較結果がはっきりと示しているのは、一対一対応の訳ではとらえられないこのような単語の意味をより正確に表そうとする意図が、最近の学習仏和に見られるようになっているという事実である。

      ちなみに「courage」には、「勇気」、「元気」とはまた別の、「熱意」(プチ・ロワイヤル、クラウン)、「やる気」(ディコ)という意味もある。したがってそれに呼応して、「courageux」にも、「熱心な」、「精力的な」(ロワイヤル、クラウン)、「やる気のある」(ディコ、プチ・ロワイヤル)、「がんばり屋の」(ディコ)といった意味をつけ加えなければならない。ここでもやはり、ディコの提示する訳語の個性、自然さは注目に値する。

      しかしいずれにしても、仏和が提出するのはもとの単語の「訳」であって、定義ではない。単語の意味そのものを理解しようと思ったら、仏仏を引くにまさる方法はない。「courageux」が「courage」を持つことであるなら、「courage」とは何か。それが単なる「勇気」でないことを理解するためには、「Bon courage !」という言いかたを思い出してみれば十分である。それはもちろん、「勇気を持て!」という意味ではなく、「がんばれ」、「しっかり」という意味だということは誰でも知っている。

      「courage」をLe Petit Larousseで引いてみるとまず、こんなふうに書いてある。
      Force de caractère, fermeté que l'on a devant le danger, la souffrance ou dans toute situation difficile à affronter. Cette femme a beaucoup de courage.
      物理的・精神的な意味で困難なあらゆる状況で人が持ちうる性格的強さ、あるいは毅然とした態度のことを、フランス語では「courage」というわけだ。

      さらに、「熱意」や「やる気」の意味での「courage」には別の定義が与えられている。
      Ardeur, zèle pour entreprendre quelque chose ; envie de faire quelque chose. Il n'a pas eu le courage de se lever si tôt.
      だから第一の意味での「courage」のところで挙げられていた例文 Cette femme a beaucoup de courage (= est très courageuse) は、「あれは気丈な女だ」、「あの女はしっかり者だ」という意味以外に、たとえばある新入社員について言われたとすると、「彼女はやる気がある」、「がんばり屋だ」みたいな意味にもなるはずだ。トゥルニエの短編の女主人公サラについての「courageuse」にしても、「しっかり者」と訳したが、これを「働き者」と訳す人もいるかもしれない。
      仏仏といえばまず名前が挙がるのはLe Petit Robertで、実際自分も翻訳の仕事で役に立っているのは圧倒的にLe Petit Robertの方なのだが、こんなふうに単語の「そもそもの」意味が知りたいなどというときにはLe Petit Larousseの方がしっくりくる。Larousseの辞書は、われわれが国語の辞書を引くような感覚で引くべきなのだと思う。難しい単語や熟語を調べるためではなく、単語本来の意味や定義を知るための、本当の意味で「学習用」の仏仏として使ったとき真価を発揮するのではないだろうか。このような仏仏の使用は、あるレベル以上になると欠かせなくなってくる。

      ちなみにフリー・ディクショナリーというオンライン辞書に含まれているフランス語の辞書は、Larousse Pratique(4万語収録、Le Petit Larousseは59,000語)、Larousse Maxipocheなどがベースになっているようです。入門編としては良いかも。私自身もよくここから例文や定義をコピペしたりしています。

      学習のための仏和、再再考

      続きますと言いつつなかなか続けられなかった辞書に関する話、続けます。

      カルチャーでの翻訳講座では、バカロレアについてのエッセイにつづいて、ミシェル・トゥルニエの短編「Les deux sœurs」を読んだ。

      で、まず意外なことにというべきか、文学テクストを例にとって辞書を引き比べてみた場合、ジャーナリズム風の文章の時にくらべて、ずっと辞書の間の差が目立ちにくかった。学習仏和を使った場合でも、中辞典、大辞典とくらべて、とくに不都合は感じられなかった。 s’en remettre à(~に頼る、まかせる)、jeter son dévolu sur(~に白羽の矢を立てる)、prendre son parti de(~をあきらめて受け入れる)のような成句だけでなく、Va (Allez) savoir(そいつは分からないな)のような口語表現、「Aide-toi et le ciel t'aidera」(天は自らを助くるものを助く)のような諺、Corbeille [de mariage](男がフィアンセに贈る贈物)のような特殊な語義を、どの学習仏和でも調べることができたのである。フランス語初級者が買うように勧められるこれらの辞書で、トゥルニエの短編のこの2ページほどの抜粋をほぼ完璧に読むことができたのだ。

      これはどういうことか。トゥルニエという作家の「古典的」性格のためか。おそらくそれだけではないと思う。

      ちなみに、上に挙げた表現の大部分は、Le Petit Larousseには載っていない。だからわれわれのまわりにある学習仏和辞典がどれもこれらの表現を網羅していることは、けっして当たり前のことではない。むしろ驚くべきことなのである。前回触れたように、これらの辞書がフランス語の現用に合わせた改良を行いつつあるのは事実としても、こうした辞書はまずそれ以前にやはり文語志向、文学志向であり、そのような観点からみてもきわめて質の高いものなのだ。

      そんなことを考えているうちに、カルチャーでフランス語初級講座が始まった。聴講者の方々が求めているのは、ディコやプチ・ロワイヤルですらなかった。これらはもうすでに、大きすぎ、重すぎ、複雑すぎるのである。かといってロワイヤル・ポッシュは勧められない。

      『パスポート初級仏和辞典』はいかがかと尋ねられた。正直いって、開いたことがない。書店でめくってみた。なかなか良さそうな辞書である。少なくとも『ポッシュ』よりはよほど辞書らしい。「アマゾン」で以下のようなコメントをされている方がいた。引用させていただく。
      仏和辞典は他にも素晴らしいものが各種ありますが,仏検3級程度まではこの辞書を徹底的に使い込んで基礎を固めるのもいい方法だと思います。その上で,中上級向けの仏和辞典や仏仏辞典,さらには手頃な電子辞書を購入するというのが,最も現実的な選択だと思います。
      学習者用仏和をめぐる状況は様変わりしている。あるいは、このような、本当の意味で「学習者用」の良い辞典が充実しているような状況こそ望ましいのかもしれない。