2008年12月17日水曜日

山口薫展


おお、久しぶりの更新。

世田谷美術館の「山口薫展」、見てきました。(日本に帰国したのです。)

1933年に留学先のパリから日本に帰国してから敗戦までのシュル・リアリズム色の濃くなる時期が、やはりかなり凄い。それまで外界に向けられていた画家の視線が、内省的になる。暗い緋色のバックに浮かび上がる、記憶の断片のような表象。菱形の田んぼ、女の顔…。

戦後の画家として確立していく時期も、良いです。基本的に(良い意味で)日本が染みついた画風ですが、それでもいろいろなスタイルが楽しめる。歌う壷はマチスのよう(これが結構楽しげ)、静物のちょっと歪んだ世界はモランディーのよう、田園風景のどっしりした趣きはフォックス・トールボットの写真のようで…。

日本にも、すごい画家がいますね。びっくりした。

2008年3月6日木曜日

うわぉっ

最近トラブル続きで心底へこんでいたのだけれど、今日はいいことがあった。

話はさかのぼって、おととい。Bulletin d'informations proustiennesというプルースト研究誌の編集主幹BB氏から突然のメール。BIPのゲラを送るから住所を教えてくれとだけ書いてある。メールの宛先を間違えたのかなと思った。

BB氏には一年以上前に原稿をメールでお送りしたことがあった。べつに掲載を依頼したわけではなく、いろいろお世話していただいていた氏に、こんなものを書いておりますがご笑覧ください、といった感じでお見せしたまでのこと。しかし、返事はなかった。ところが最近、BB氏のオフィスに行かないとコピーができない資料があって、久しぶりに連絡させていただこうという気になった。それがおとといのこと。そんなことを考えながら帰宅してパソコンのスイッチを入れたら、氏からのメールが飛び込んできたというわけ。

渡りに船でとりあえず返信。編集でお忙しい中大変恐縮ですが、あさって(つまりは今日です)そちらに伺ってコピーなどをとらせていただいてもよいでしょうか、と書いた。それから、いただいたメールは勘違いされているようです、と追記した。昨日早速BB氏からの返事があった。あ、そうですか、じゃあ、ゲラもそのときにお渡しします、と書いてある。

はぁ……。

今日オフィスに行ったら、ゲラを渡された。まさかのまさかでした。やはりそれは、一年以上氏に前に送った原稿だったのでした。原稿は論文の一部だったもので、論文自体のほうはそれ以来形が変わっている。BB氏に送った原稿のファイルはしばらく取っておいたが、そのうちゴミ箱に捨てた。だから正確な内容はよく覚えていない。そもそもあれは完成稿だったのだっけ。

コピー機の前でしばし読みふける。ずいぶん冗長なところが目について、しまいには飛ばし読み。バスに乗り、かばんからゲラを取り出して、あらためて最初から読む。引き続き、歩道を歩きながらも読む。論文の最後にまできて、歩いている足が止まる。

うわぁ…。

不覚にも、自分で書いた文章にけっこう感動してしまう。

2008年2月12日火曜日

パースと翻訳論

ネットで公開されているCécile Cosculluela の博士論文Traductologie et sémiotique peircienne : l'émergence d'une interdisciplinarité (Université Michel de Montaigne-Bordeaux III, 1996)を斜め読みした。

パース記号論の立場から見た翻訳論。著者によれば 、この種のアプローチの先駆としてはJanice Deledalle-Rhodes(フランスにおけるパース研究の第一人者だったGérard Deledalle夫人)のいくつかの論文があるが、「この学際的問題に関して今日英語で読むことのできる唯一の著作」は、Dinda L. Gorlée, Semiotics and the Problem of Translation : With special reference to the semiotics of Charles S. Peirce, Amsterdam and Atlanta, GA: Rodopi, 1994なのだそうである。

そもそも学問分野としての翻訳論(translation studies)自体歴史が浅いのだが、一方で、古代以来の文学史のなかには翻訳の理論と実践をめぐる重要な著作が多数存在する。この翻訳論史の業績がまとまってきたのはつい最近のことで、代表的なものとしては、Michel Ballard, De Cicéron à Benjamin, Presses Universitaires de Lille, 1992と、Andre Lefevere, Translation/History/Culture : A Sourcebook (Routledge, 1992)があるとのこと。

さて、Cosculluela のこの長大な博士論文の特徴は、パース記号論の翻訳論への適用を、翻訳論史の記述のしなおしから始めているところ。古代から20世紀初めまでの言説史で全体の3分の1(I~IV章)。さらに、言語学ベースの翻訳論から、最後は前述したパース記号論に基づく翻訳論まで、20世紀の学説史の紹介で全体の3分の2までいく(V~VII章)。一つ一つの翻訳理論が、じつに律儀に要約されている。各章の終わりでは、そこで論じられたことがていねいに復習される。(だから、基本的に歴史のパートは各章の「結論」だけ読んで、大事そうなところだけ章の中に入っていけばよいのである。)パースが一応の導きの糸だが、実際はあまり関係ない。パースについての予備知識も要らない。

この博士論文を読む最大のメリットはこれ。注意深く読んだのは、シュライアマハー、ベンヤミン、ヤコブソンに関するページ。現代の理論家では、Meschonnic、Steiner、Etkind(ヴァレリーに依拠している)が個人的にヒットした。パース記号論的な翻訳論については当然熟読。Gorléeの本などは引用が豊富にあって、これだけで内容がだいたい理解できてしまった(ような気になった)。

Cosculluela 論文の第2の特徴は、パースの「記号言語学」の専門家であるフランスのJoëlle Réthoréを援用している点。Cosculluela さんいわく、Réthoré 教授の博士論文La sémiotique linguistique de C.S. Peirce (Université de Perpignan, 1988)は「いまなお、パース記号論と言語学のこの共通領域を切り開く唯一の試みでありつづけている」という。そういうわけで、Réthoré学説の大まかな紹介のあと、いよいよパースそのものの話へ。Gorléeがすでに扱った問題だが、パース記号論において「翻訳」という概念がいかに重要であったかという点を、豊富な文献知識を駆使しつつさらに明らかにしていく。この部分はすこぶる勉強になった。

ここ(VIII章)までで、全体の6分の5。残りの部分で、ついに独自の翻訳論が語られる(IX章)のだが…、率直にいって面白くない。どうみてもありきたりとしか思えない話を、パースのジャルゴンを駆使して語るというだけのこと。フランスのパース学者には多いパターンかな。

これまでパース関連の文献は、フランスの図書館で簡単に手に入るものに限ってきた(Gérard Deledalle、Nicole Everaert-Desmedt、Jean Fisetteなど)。しかしCosculluela によれば世界の最先端であるはずのRéthoréの博士論文でさえ、手に入りやすい形で出版されていないというこのフランスの状況は何なのでしょう。今回調べてみたところ、Réthoréのその他の小さい論文も、世界各地のマイナーな雑誌に分散しているという状況。唯一インターネットで読めるのが、これ

プラグマティックな言語論(語用論)とパースとの関係は、前から気になっていた。とくに言語行為論と結びつけたものがあればいいなと思っていた。今回この博士論文を読んで、Gorléeの中にそれがあることが分かった。Cosculluelaはこれをあたかも新説であるかのように紹介しているが、本当にそうなのか。統語論、意味論、語用論の三分類を創始したのがチャールズ・モリスであるということも、Gorléeの要約を読みながら知った。だとすれば、語用論(pragmatics)はパースのプラグマティズム(pragmatism)から来たのだと考えてよいのだろう。実際ウィキペディアの「チャールズ・W・モリス」の項には、そのように書かれている。

それからこれもウィキペディアで発見したこと。「言語行為」の項によると、パースは言語行為論の元祖と考えられているのだそうです。(あら、ま。)この問題を扱った論文が、英語圏では1981年にすでに書かれている。

パースはもう少しちゃんと勉強したい。もうフランス語圏から出ないとだめだわ。

2008年2月3日日曜日

ヴァレリー、プルースト、晦渋性

2時間ほどしか寝ていなかったが、土曜日は例によって1日中働く。

電車の事故で遅れて、11時からローラさんとブリジットさん。3課「時間」の残りを終え、4課「曜日」の会話を読み、5課「日付」の導入まで。ローラさんは6月4日生まれのふたご座、ブリジットさんは1月24日でみずがめ座。

13時15分、クロディーヌさん。このかたはいつもマイペースなのである。多忙なために宿題をする時間がなく、いつも前回勉強したことを復習し、反復練習をすることから始める。そして、ひらがなのプリントを渡し、文法の新事項を少し導入するあたりで授業が終わる。確信をもってマイペースでいらっしゃるので、こちらも粛々とそのお手伝いをするのである。

16時、ジェレミー君。新JBP2の14、15課。ジェレミー君は典型的なA型人間。律儀な男で、宿題をしなかったということがない。いや、一度だけあったが、このときは授業の日を間違えていたのである。(そして、あわててその場でかたづけた。)今回は試験期間中だったため、最後の問題、「あなたの日記を日本語で書いてください」をすることができなかった。しかしルーズリーフをよく見ると、何かたくさん書いてそのあと消しゴムで消した跡がある。いちおうは試みたものの、他人に滅多なものは見せられないとの気概から、これを取り下げたのである。結局日記は次回、ということになる。ジェレミー君は、本当に日本語がうまくなると思う。

睡眠不足でふらふらになって帰宅。父の友人で画家のN氏から手紙が来ていた。

N氏は前回いただいたお手紙で、ヴァレリーの芸術論、テリー・イーグルトン、プルーストの恋愛論について話されていた。これに対してこちらの個人的意見を メールで書かせていただいたところ、ご丁寧にもお礼の返信をいただいたというわけ。このお手紙に勇気づけられ、氏にお送りした長文メールを「ヴァレリー、プルースト、晦渋性」というタイトルをつけて、ホームページにアップすることにした。

ホームページというのは、さきほどジオシティーズにて即席で作ったのである。時間ができたら、もう少し体裁を整えて、ほかのテキストや写真などもアップできるかもしれない。

2008年1月30日水曜日

アウラ雑感

ベンヤミンの「アウラ」の概念にについて個人的に思うことを、箇条書きで。

  • アウラとその崩壊、礼拝的価値と展示的価値という二項対立を単純に進化論的にとらえて、それぞれの第二項を、近代という歴史的段階、つまり複製技術の時代の特徴と考えることは、じつはできない。
  • 「芸術作品が唯一無二であることは、それが伝統の関連のなかへ埋めこまれていることにほかならない。とはいえ、この伝統自体はまったく生きものであって、ことのほか変わりやすい。〔…〕芸術作品を伝統の関連のなかへ埋めこむ根源的なしかたは、礼拝という表現をとったわけである。〔…〕ところで、芸術作品のアウラ的な在りかたが、このようにその儀式的機能と切っても切れないものであることは、決定的に重要な意味をもっている。いいかえると、『真正の』芸術作品の独自の価値は、つねに儀式のうちにその基礎を置いている。」(ヴァルター・ベンヤミン、「複製技術の時代の芸術作品」、『ボードレール 他五編』所収、岩波文庫、7071頁)
  • この一節を読む限り、アウラの問題とは作品を受容する社会制度と深く結びついており、単なる生産局面での物理的条件(複製可能性、あるいは写真の感光時間の長短、云々)に議論を限定することはできないということになる。
  • タブロー、ミサ、大聖堂が発達した中世においてすでに、儀式は礼拝性と展示性の両方を分かちがたく含んでいた。展示性が抑圧されるのは、むしろ「世俗的な美の礼拝」が形成されるルネッサンス以降。(芸術作品はこのとき、教会から宮廷へ移動する。)展示的パラダイムの端緒は、だから中世に求めることができる。中世文明はひとつの全体=身体として、日々の生活の中でキリスト教の伝統を受容していた。(ジャック・ル=ゴフ、『中世とは何か』、藤原書店、2005年、「第4章 ある文明が形を成す」参照。)
  • 写真は少なくとも、バルト風に言うなら、「まさにそこに被写体が存在したこと」を語ってはいる。被写体と写真との関係は、つねに一回的なもの。このまなざしの一回性が独自の儀式的機能とむすびついたとき、写真的アウラが生まれうる。それが組みこまれるべき「伝統の関連」は、このとき当然、従来芸術作品がもっていたものと比べて、新たなもの、より個人的なものに変化する。いずれにせよ、写真の発達とアウラの崩壊を即座に結びつけるのは正しくない。パースに依拠する写真理論家フィリップ・デュボワによれば、写真における現存と不在の弁証法は、「どんなに近くにあってもはるかな、一回限りの現象」というアウラの定義そのものということになる。
  • そもそもベンヤミンはアウラの崩壊だけを語ったのではない。因習的な肖像写真家やピクトリアリストによるアウラの捏造、映画に礼拝的価値を読みこもうとする批評家、スターの人格を商品化する映画資本についても語っている。つまりここでもまた、その真正性はともかくとして、複製技術の時代においてなおアウラは健在ということ。今日でも、美術館の作品は以前にもまして礼拝性をまとっている。それらは複製のオリジナルとして、新たな神秘化をこうむる。(ジョン・バージャー、『イメージ 視覚とメディア』、パルコ、1986年。)
  • それでもなお、「複製技術時代の芸術作品において滅びてゆくものは作品のアウラである、ということができる」とすれば、それはなぜか。「複製を大量生産することによってこの技術は、作品の一回限りの出現の代わりに、大量の出現をもたらす。そして受け手がそのつどの状況の中で作品に近づくことによって、複製された作品にアクチュアリティーを付与する。伝えられてきた作品は、この二つの過程をつうじて、激しく揺さぶられる。」(「複製技術…」、67頁)
  • 複製はオリジナルと同等の資格をもつものとして消費され、個人の中で、伝統から切り離され、再文脈化されうる。(ただし、つねにではない。)複製の問題はだから、おもに芸術の受容形態にまつわる問題であり、文学において受容論が提出した問題に関わっている。ジョン・バージャーによれば、複製の政治的・営利的利用が隠蔽し、否定しているもの、「複製の存在により可能になるもの」を解き放つことこそが重要なのだということになる(『イメージ』、38~44頁)。しかし、ベンヤミンが言いたいことは、たぶんそういうことではない。
  • 「シュルレアリスム」の終わりに出てくる「身体空間」、「あのイメージ空間、世俗的啓示のおかげで私たちが住みつくことのできる空間」(『ベンヤミン・コレクションI』、ちくま学芸文庫、518頁)、ベンヤミンが革命的芸術に期待していたのは、おそらくこのような、伝統的儀式に代わる集団的表象受容の新たな形態を実現すること。社会が表象を受容するひとつの身体であるべきだというのは、ル=ゴフ的な観点から言うと、じつは中世のパラダイムの延長そのものということになるだろう。

2008年1月28日月曜日

来々軒の一夜

昨日は一日外にいた。

ローラさん、ブリジットさんとの10時半からの授業。ら・わ行、1、2課の復習。4課「曜日」の導入をしながら、途中でまだ3課を終えていなかったことに気づく。ま、なんとかごまかせた。

13時、クロディーヌさん。拗音、4、5課の復習。6課の導入。だいぶ慣れてきたみたい。

16時、ジェレミー君。新JBP2の13、14課。

19時半にピラミッドで待ち合わせて、ひろこさん、ファビエンヌさん、イチエさん、ひろしさんと来々軒で食事。そのあと、カフェ・ロワイヤル。

2008年1月25日金曜日

説明すること、理解すること

Louis Quéré, La sociologie à l’épreuve de l’herméneutique, 1999という本の要約があったので、読んでみた。解釈学は社会学のモデルたりうるかという問題を論じた本。最後は、エスノメソドロジーの話になる。要約のほうは、教授資格試験(アグレガシオン)を受ける学生の便宜のためにENSの教師(?)が作ったものらしく、これだけでも分量はけっこうある。

ディルタイは、自然科学と精神科学の区別を試みる際、前者に「説明」、後者に「理解」という語を割り当てた。人間の行動の意味は「理解」を経由した内観によってしか把握しえない。このような「理解」にいたる方途としてディルタイが提示するのが、解釈学である。これが基本的な前提。(この年の社会科学の教授資格試験のテーマは、「説明すること、理解すること」というものだったのだそうで。)

ディルタイから始まって、一方には、ハイデッガー、ガダマーの哲学的な流れがあり、もう一方には、ヴェーバー、ハーバーマスらの社会学的な流れがある、と。両者に共通するのは、解釈から独立した現実の存在を認める客観主義に対する批判、ということになる。このような思想史的な背景は、ハーバーマス・ガダマー論争を理解するうえで、当然大事。

いちばんおもしろかったのは、
アーペルの次の主張。人がものごとを因果論的に説明しうるという事実のうちにはすでに、一般的法則からの演繹モデルでは説明がつかない、ある人間的な能力の存在が前提されている。これはパースの言う「アブダクション」(「仮説的推論、仮説形成」)を指しているのだろうと思われる。このような経路を通じて、「説明」の復権がなされる。ハーバーマスが、ガダマー解釈学を批判して、「理解」はときには因果論的説明の助けを必要とする場合があると言うのも、おそらくこのような文脈での話。

プルーストにおける、「想像力」に対する「知性」の復権の話と似ていますよね。似ているんです、はい。

2008年1月24日木曜日

解釈学な日々

あ、日付変わってもうた。

昨日は8時半起床。コルベイユへ。

ジョルジアさんの友人へのメールを代筆して送る。そうこうしているうちに、娘さんが帰ってくる時間だからといって、今日は切り上げ。こんな風にして授業(?)が終わることもけっこう多い。

ボブールの図書館へ。もはや行列はない。Johann Michel,
Paul Ricoeur - une philosophie de l'agir humain, 2006から、イデオロギー批判とハーバーマス・ガダマー論争に関するページを、Espritのリクール特集号(juillet-août 1988)からPaul Ricoeur, "L'identité narrative"を、Archives de Philosophie, janvier-mars 2000の、D. Jervolino, "Herméneutique et traduction"を、それぞれコピーした。

リクールの"La fonction herméneutique de la distanciation"を読んで以来いろいろ疑問がわいてきて、今それについて読んでいる。

2008年1月22日火曜日

今日わかったこと

昨晩は4時半ごろまで眠れず。しかたなく、寝床でRobert Kahnを少し読んだりした。

朝起きたら8時半過ぎ。ENSでのRobert Kahnの講演へ。15分遅刻。ベンヤミンにおけるプルースト受容についての本を書いたKahnさんは、お年を召したかたでした。意外。

リクールを読もうと、リュクサンブール公園前「ロスタン」へ。"Herméneutique et critique des idéologies"のコピーをパラパラするが、どうもおかしい。昨日読んだ記事と内容が符合しない。インターネット・カフェに行って、Deramaixさんの記事を確認。案の定、これは"Herméneutique..."の要約などではなく、むしろ同じDu texte à l'actionの"La tâche de l'herméneutique"(1975)、"La fonction herméneutique de la distanciation"(1975)を詳しく紹介していることに気づく。

昼食。ジベールで本のチェック、少々立ち読み。

あいかわらず、サント=ジュヌヴィエーヴの前には行列。地下鉄でパリ8大学まで行く。図書館でDu texte à l'actionから、"De l'interprétation"と"La fonction herméneutique de la distanciation"をコピー。さらに、Gérard Cogez, Le Temps retrouvé de Marcel Proust, 2005の中の必要になりそうなページ、Jacques Chabot, L'Autre et le moi chez Proust, 1999の序文と結論、Pierre Bayard, "Lire Freud avec Proust"(A. Bauduin et F. Coblence, dir., Marcel Proust - visiteur des Psychanalystes, 2003)をそれぞれコピー。

読むほうは、あまりはかどらず。

あとは、昨日わかったこと。ル=ゴフのLa Civilisation de l'Occident médiéval(1964)が、ついに去年の暮れに和訳で出版されたようですね(桐村泰次訳、『中世西欧文明』、論創社) 。

2008年1月21日月曜日

ハーバーマス、リクールの「メタ解釈学」

ブリュッセル在住のPatrice Deramaixなる人物がネットで公開しているテキスト"Herméneutique et émancipation"(1993)を読む。これも、ハーバーマス・ガダマー論争についての話。こちらはさらに、ガダマーの反批判(1967)の後に出たハーバーマス側からの反反批判(?)、La Logique des sciences sociales所収の"La prétention à l'universalité de l'herméneutique"(1970)にも触れている。ここでハーバーマスはフロイトに言及しながら、歪曲されたコミュニケーションの正常化のモデルを精神分析における治療過程に求め、この「非解釈学的理解形態」の中に「メタ解釈学」の姿を見る、というような話らしい。Deramaixさんはまた、リクールがガダマーとハーバーマスの両者の立場を調停する目的で書いた"Herméneutique et critique des idéologies"(1973)も詳しく紹介している。リクールは、ハーバーマスのイデオロギー批判の重要性を認めつつ、言語行為論から想を得た受容理論を基礎に独自の(メタ)解釈学を構想する、云々。このリクールの論文は『時間と物語』(1983~85)より前に書かれたのだけれど、『時間と物語』の受容論を扱った箇所よりも(要旨を読んだだけでも)ずっと面白い気がする。不思議。

明日はENSの講演だ。さっさと寝よう。

2008年1月20日日曜日

ベンヤミンふたたび

八時起床。土曜日恒例の死のロードへ。

と思ったら、駅へ向かう途中で聞いた携帯の留守電に、昨日の日付のローラさんからのメッセージ。風邪でダウンとのこと。昨日は一日携帯のスイッチを入れていなかったのでした。こちらから連絡して、キャンセルを確認。

予定を変更して、ボブールの図書館へ。さっそく昨日チェックした解釈学関連文献をコピー、と思いきや、試験前の学生が長蛇の列。サント・ジュヌヴィエーヴにも行ってみるが、ここも同じ。午前中とはいえ、試験前はだめだね、やっぱり。

あきらめて、リュクサンブール公園前のクイックでコーヒーを啜りつつ読書。ベンヤミン「複製技術」をあらためて読む。そのあと、残り2コマのコピー。

13時、クロディーヌさん。半濁音、促音、長音。「これ・それ・あれ」。決算前の時期で仕事が極端に忙しく、お疲れ気味とのことで、授業は一時間で切り上げ。空いた時間を利用して、リヨン駅のプリンター・ショップへ。プリンター・コードの受け取り。

16時、ジェレミー君。仮定の「~と」、「~ば~ほど」、「~たら」を使った会話の聴解練習など。ジェレミー君は最近、インターネットで日本人の女の子のペンフレンドを見つけたらしい。若いのにやるね。

夕食後、ふたたびボブールへ。Ricoeur, "Herméneutique et critique des idéologies"と、Habermas, "La logique des sciences sociales"のガダマー解釈学に関するページ、さらに、Habermas, Connaissance et intérêtの"Postface"をコピーDEA論文のあと古本屋に売ってしまった(馬鹿)、Robert Kahn, Images, Passages : Marcel Proust et Walter Benjaminの必要な箇所を、読み返すためにコピージェレミー君のために、Japanese for Busy Peopleの第20課をコピー。

どういう取り合わせだ、これは。

Bulletin Marcel Proustの2006年号をパラパラしていたら、アニック・ブイヤゲがGérard Cogez, Le Temps retrouvé de Marcel Proust, 2005なる本を書評しているのに気づいた。丸ごと一冊、『見出された時』の解説本らしい。あったんだね、こんな本…。

2008年1月19日土曜日

ハーバーマス・ガダマー論争

Jean-Marc Ferry, Habermas : l'éthique de la communication, 1987の「ハーバーマス・ガダマー論争」に関する章、読了。引き続き、この問題に関してインターネットで入手できた情報を読み進める。

武田朋久、「ハーバーマス方法論における解釈学的アプローチ」(創価大学紀要、2003)、再読。「社会科学の論理によせて」(1967)に見られる「ハーバーマス方法論における解釈学の批判的摂取」を跡づけながら、ハーバーマスにとってのガダマー解釈学の問題点を明らかにし、さらに、ガダマーの『真理と方法』の基本的立場、 「修辞学、解釈学、イデオロギー批判」(1967)で展開されたハーバーマスへの反批判を紹介する。わかりやすい。

解釈学関連文献についての基本知識がないのでかなり混乱し、フランス語版テキストの入手方法もわからず困っていた(Jean-Marc Ferryの本は古く、ドイツ語版を参照している)ところ、モントリオール大学哲学部の2007年度授業シラバス「解釈学II」(基本文献リストつき)が見つかった。現時点における問題の所在も、なんとなく見えてくる。

この道、ここまで入り込んでしまったからには、せっかくだからもうちょっと先まで進んでみようか。深入りする時間はもうないが、それでも確実に面白いことにはなりそうだから。