2010年12月23日木曜日

時制システム

学生さんいわく、フランス語の時制というのはとらえがたいのだそうです。

たとえば英語の時制なら、だれもが頭の中に以下のような図式を思い描くことができます。


フランス語の時制ではどうもこのような論理が見えにくい。

それでは上の図式をこんなふうにフランス語に置き換えてみたらどうでしょうか。


「複合過去=現在完了」、「単純過去=過去」 と、とりあえずは理解してしまいます。楕円で囲んだ部分はいったん忘れましょう。

ただ、歴史的な変遷から、フランス語の複合過去は「完了」と「過去」 を兼ねるようになっている

Ils ont déjà mangé. 《完了》
They have already eaten.
Hier, je suis allé au cinéma. 《過去》
Yesterday I went to the cinema.
つまり日常的なフランス語では、単純過去は複合過去に置き換えられたということができます。

同様な現象は、じつは日本語にも見られます。日本語の「た」もやはり、本来完了を表していたもの(「たり」)が過去をも表すようになった例にあたります。 その結果、それまで過去を表していた助動詞「き」、「けり」が消滅しました。「完了相の標識が過去時制へと推移する現象は世界の言語でしばしば見られる」現象だそうです。(参考

前過去はどうでしょうか。「前過去=過去完了」でいいのか。

そういう場合もあります。
Quand nous l'eûmes fini, nous mangeâmes.
When we had finished it, we ate.
ただ、フランス語が「単純過去/前過去」としてもうけている識別を、英語では行わないこともあります。
Dès qu'elle fut arrivée, le téléphone sonna.
As soon as she arrived, the phone rang.
前過去は主節の動作の直前に完了した動作を示す時制ですが、この場合「dès que/as soon as」によって「直前」のニュアンスはすでに十分に言い表されているので、あえてこれを用いる必要はない。英語はそのような冗長さを避けている。

日常的なフランス語でも同様です。日常的なフランス語では単純過去が用いられないので、それに対応する複合時制である前過去も用いられません。上の例を口語フランス語に翻訳するとこうなります。
Dès qu'elle est arrivée, le téléphone a sonné.
理論的にはここは重複合過去("a été arrivée")を用いるべきところですが、複合過去で代用しても問題は生じないわけです。重複合過去は、実際にはほとんど用いられません。(ただ、地域差があるようで、カナダ、スイス、南仏ではめずらしくないようです。)

つまり複合過去は、単純過去だけでなく前過去をも置き換えうるということになります。

ちなみに前過去を用いた最初の例文の方は、口語では、
Après l'avoir fini, nous avons mangé.
と言い換えられます。

「単純過去/前過去」 の対は日常フランス語からは消え去りつつあり、複合過去がその領域を覆っている。すくなくとも形の上では、「過去」は「完了」のなかに吸収された……。しかし、そのことによって時制としての過去が消滅したわけではありません。形は同じでも、「完了」と「過去」の区別は依然としてあります。

以前ブログに書いたように、「過去」として用いられた複合過去に「完了」のニュアンスがつねに読み取れると考えるのは、必ずしも正しくありません。フランスでは報道文の中でも単純過去が複合過去に置き換えられましたが、そのことはフランス人の「過去」概念の根本的変化を反映しているのでしょうか。私はそうは思いません(「『書き言葉』って言われても」)。

この話題、えんえんと続くかもしれません。(ただし激しく脱線していくと思います。)

2010年12月9日木曜日

カブールのセネガル人

フランス語のchameauは、ヒトコブラクダchameau à une bosseとフタコブラクダchameau à deux bossesを含めたらくだの総称。ちなみに西アジア原産のヒトコブラクダはchameau d'Arabie、中央アジア原産のフタコブラクダは chameau d'Asieとも呼ばれます。

これ以外に、とくにヒトコブラクダをさす言葉としてdromadaireがあります。

chameauという言葉自体はセム系言語から、ギリシャ語(kamêlos)、ラテン語(camelus)を経由してフランス語に入ってきたということですが、19世紀になると前述のような俗語的意味が生まれる。

19世紀初頭、この語は(dromadaire同様)女性に対する蔑みの言葉として使われるようになる(1828)。まずそれは「淫売」の意味で用いられ(「のりもの」の隠喩)、のちには最初の用法が忘れられて「つっけんどんな人」を意味するようになる。(Dictionnaire historique de la langue française
「のりもの」ね…。

日本語の「らくだ」も中国語の「駱駝」を借用したものだが(参照1参照2)、やはり19世紀初頭にこれまた前述のような経緯で別の意味が生じたと。まったくの偶然かもしれませんが、時期的には重なります。もしかすると、このころやはりフランス人もらくだの「実物」に出会うという体験をもったのではないか、などと夢想してしまう。なにはともあれ、日仏で意味はかなり対照的ですね。かたや役立たずの男、かたや淫売女というわけだから。

プルーストに戻りましょう。

ブーローニュの森にセイロン人がいる意味はわかった、それからchameauという言葉の含意もわかりました。ただ、その二つの結びつきがどうもしっくりこない。セイロンはイギリスの植民地です。セイロン人がフランス語を話しているというのがまずおかしい。それに、らくだってセイロンにはいないでしょう…。

じつはchameauのくだりにはもとネタがあります。ある年の夏、プルーストはいつものようにノルマンディーのカブールに滞在している。そのカブールにはセネガル人やモロッコ人がいたそうです。プルーストはそのアフリカ人たちと話している。そこにひとりの婦人が通りかかる。
あるたいへんに愚かなbête婦人が(こういうひとはカブールにはたくさんいます)この黒人たちを見物しにやってきました、まるで新奇な動物bêtes curieusesを見るみたいに。そして黒人たちのひとりに向かって言ったのです。「こんにちは黒んぼさん。」これが彼の神経を逆なでしたのでした。黒人はこう答えました。「おいら、黒んぼだけれど、あんた、らくだじゃないか。」(マドラゾ夫人への手紙、1915年初頭、拙訳)
黒人たちを「めずらしい動物」のようにあつかう婦人たちが、プルーストの目には「愚かな動物」のように映る。その「動物性」を暴いてしまうのが、黒人の発する「らくだ」の一言だったわけです。

セネガルは19世紀末以来フランスの植民地になっているし、モロッコも当時はフランスの保護領になっていた。だから彼らがフランス語を話すのは自然だし、サハラ砂漠のある国から来た人々なのだから「らくだ」の例えが出てくるのも飲みこめます。この話に不自然なところはない。

プルーストは『花咲く乙女』を書くときに、ブーローニュの森の植民地風俗の展示のエピソードとカブールでの愚かな婦人たちのエピソードを、なかば強引にくっつけたのでした。この一節がどうもいまいちすっきりと理解できない理由はそこにあるわけです。

2010年12月3日金曜日

おまえはらくだ。

「らくだ」です。といっても落語の話ではない。

「月番はあなたですか。」「はい、あたし。なに?」「あの、らくださんがねぇ」「あ、っとっとっと。らくだのことでもってきたってだめだよ。あいつにかかわるのがいけないんだからね。ん、もってきちゃだめだよ。」「いえ、らくださんが死んだんですよ。」「えっ、らくだがまいっちゃった? ほんとか、お い!」「そうです。」「ほんとに、死んだ? えっ! んなこといって、おまえ、人を喜ばしたりなんかして…(笑)、ほんとかい?」「ほんとに、まいっ ちゃったんで。」「生き返りゃしないか。」「生き返りません。」「いや、あいつぁずうずうしいから、生き返ってくるよ(笑)。頭、よくつぶしといたらどうだい?(笑)」(古今亭志ん生、「らくだ」より)

落語の「らくだ」というのは、実際のらくだを見たときに江戸町民たちが受けたインパクトがもとになってできた話なのだそうですね。
「ラクダ」というあだ名については、1821年(文政四年)、両国に見世物としてラクダがやってきたことに由来する。砂漠でその本領を発揮するラクダだが、それを知らない江戸っ子達は、その大きな図体を見て「何の役に立つんだ?」と思ったらしい。そこで、図体の大きな人や、のそのそした奴をラクダになぞらえて表現したことが下敷きになっている。(ウィキペディアより)
それはいいとして、本題はこれ。
「おいら、黒んぼだけども、おまえさんは、らくだだよ。」
っていうとなんのことだかわかりませんが、プルーストです。

この部分、鈴木訳で話の流れを確認しましょう。

「いや、ばかげた話ですよ。〔…〕そのブラタン夫人が最近、ブーローニュの森の自然観察園に行ったんですが、あそこに黒人たちがいましてね、セイロン人なんでしょう、〔…〕ともかく、ブラタン夫人はその黒人の一人に声をかけたんです、《こんにちは、ニグロさん!》って〔…〕言われた相手の黒人は、この呼び方が気に入らなかったんです。それでかっとして、ブラタン夫人に言ってのけたんですよ、《俺ニグロ、だが貴様ラクダ!》ってね」「わたし、それがおかしくって!この話、大好きよ。ほんとに《名台詞》でしよ? 言われたブラタンおばさんの顔が目に見えるわ、《俺ニグロ、だが貴様ラクダ!》ですって」。(鈴木訳3、『花咲く乙女たちのかげに I』、231~232頁)

C'est idiot. [...] Elle est allée dernièrement au jardin d'Acclimatation où il y a des noirs, des Cinghalais, je crois, [...] Enfin, elle s'adresse à un de ces noirs : "Bonjour, négro !" [...] ce qualificatif ne plut pas au noir : "Moi négro, dit-il avec colère à Mme Blatin, mais toi, chameau !" — Je trouve cela très drôle ! J'adore cette histoire. N'est-ce pas que c'est "beau" ? On voit bien la mère Blatin : "Moi négro, mais toi chameau !" »(I, 526)
そうです、このまえの「青尻猿」のつづきです。

自然観察園(ジャルダン・ダクリマタシオン)といえばブラタン夫人を思い出す、とスワン夫人 。ずいぶん話が飛躍するじゃないかとまぜっかえすスワンに対し、夫人は、だってあなた、あの話があったじゃありませんか。そううながされて、スワンが語りはじめる話が、これです。

しかしでも、なんでまたブーローニュの森にセイロン人が? この点については、鈴木訳の注がたいへん親切です。
ブーローニュの森の自然観察園には、当時のエグゾチスムの流行に応えて、西欧人の知らない辺境や異国の風俗習慣を紹介する一角があり、ヌピア人、エスキモーをはじめ、さまざまな民族が招かれた。一八八三年、一八八六年には、セイロン人の風俗が紹介された(アンリ・コルベル、『プーローニュの森小史』、一九三一年に拠る)。
また、プレイヤード版の注は、1889年のパリ万博の機会に植民地風物のこの種の「展示」がブームになったことを指摘しています。négroというのも、この頃スペイン語からもたらされた新語でした(Le Petit Robert)。

オーケー。じゃ、「らくだ」は?

ふたたび、鈴木訳の注にこうあります。
ラクダ 原語はchameau 。この語はまた「意地の悪い人」、「人でなし」などの意に使われることがあり、女を指すときには「あばずれ」という意味にもなる.
たしかにTrésorには、俗語として、「身持ちの軽い女に対して軽蔑的に用いられる言葉」と載っている。

展示物のように扱われていた黒人(ニグロ)が、「らくだ」の一言でブラタン夫人をもまた動物園の住民にしてしまい、暗に女としての品位まで貶めてしまった。オデットがおもしろがるのはそんなところからでしょうか。

この話、もうちょっと続きがあります。