2010年4月8日木曜日

現用主義

相変わらずバカロレアについてのエッセイを例にとりながら、仏和辞典が現代の文章でよく使われる言い回しにどれだけ対応しているかという話。

  • mitigé

このエッセイからの最後の例。今は教職に就いているルグランなる人物が登場してこんなことを言う。
Je garde de cette année un souvenir mitigé.
この一年は私にとって複雑な想い出となって残っています。

この意味でのmitigéはよく目にする。小学館ロベールはmitigéの第一義として、「あいまいな、はっきりしない」を掲げ、以下のような用例を示している。
une attitude mitigée 煮え切らない態度
Le livre n’a obtenu qu’un succès mitigé. その本の評判はいまひとつ芳しくなかった。

いっぽう、mitigéの項でロワイヤルがまず挙げているのは、「緩和された,和らげられた」の意味。(たとえば、「peine mitigée」は「減じられた刑」)。それ以外には、「~の混じった」という意味で用いられる〈mitigé de〉の形を挙げているのみ。「あいまいな」の意味は載せていない。

いろいろな仏仏辞典を引いてみたが、mitigéのもともとの意味は「緩和された,和らげられた」。「混じった」の意味は、mi-の部分が「moitié」を連想させることから生じたもので、誤用とされることが多いとのこと。「あいまいな、はっきりしない」は、さらにこの「混じった」の意味から生まれたものらしい。

言葉の原義を尊重するのか、あるいは現実によく使われる意味を重視するのか。mitigéで引き比べてみると、またも辞書による扱いの違いに興味深い変化が見られる。ロワイヤルは明らかに原義重視で、Le Petit Robertもどちらかといえば原義尊重の方だが、「Emploi critiqué」としながらも、「Des sentiments mitigés」(かたづかない気持ち)の例を挙げている。

反対に、小学館ロベールは今見たとおりの現用重視。Le Petit Larousseも同様。最近の学習仏和も、こちらの方に傾きつつあるのが確認できた。小学館ロベールが1980年代にすでに掲げていた「現用主義」は、今、仏和辞典のスタンダードになりつつある。時代が小学館ロベールに追いついたといった感あり。それだけにこの辞書が以後改訂されていないのは惜しい。そしてなにより残念なのは、CD-ROM版が出ていないこと。電子辞書には入っているのだからできるはずなのに。

さらに、学習仏和4種でmitigéを引き比べてみると、面白いことがわかる。
中途半端な、どっちつかずの、生ぬるい(プチ・ロワイヤル)

芳しくない,ぱっとしない; 中途半端な ―― accueil mitigé 生ぬるい歓迎 / succès mitigé ぱっとしない成功 / attitude mitigée どっちつかずの態度(ディコ)

《話》 混じった、中途半端な(ク)

曖昧な、はっきりしない ―― attitude mitigée 煮え切らない態度 / zèle mitigé 冷めた熱意(プロ)

プチ・ロワイヤルとクラウンは語義だけ、ディコとプログレッシブはそれにプラスして用例を載せている。収録語数の多い辞書では、どうしても用例のためのスペースが犠牲にならざるを得ない。用例はどれも似たり寄ったりだが、このような場合、できるだけ多い方がわかりやすいに決まっている。

現用のフランス語に対応できる即戦力の辞書を作るという小学館ロベールの精神に一番近いのは、このクラスではディコかな。

さらに続きます。

辞書を引き比べてみる

カルチャーの翻訳講座でバカロレア200周年についてのエッセイを読んだ("Le baccalauréat a fêté ses deux cents ans !", Le francais par les textes, PUG, 2003)。

ジャーナリズム文体で、フランス語としてはごく日常的に使われている表現を用いている。案外こういう表現の中に、仏和辞典が対応していないものがあったりするのである。それが、いろいろな仏和を引き比べてみる機会になった。

  • parcours

    たとえばこのエッセイの最初の段落で、バカロレアがこのように定義されている。
    une étape importante dans leur parcours scolaire.
    若者の学歴の中の大事な一ステップ

    この「parcours scolaire」は、「学歴」でいいでしょう。履歴書に、「学歴」、「職歴」って書くときには、「parcours scolaire」、「parcours professionnel」。第一、 「履歴書curriculum vitæ」も、ラテン語で「course de la vie」(人生の歩み)という意味だ。あるいは、雑誌などのインタヴューで「 Quel est votre parcours ?」と言えば、それは 「あなたの経歴をお聞かせいただけますか」ということ。
    Le Petit Robertにも、
    Ils n'ont pas suivi, pas eu le même parcours.
    彼 らはめざすところが違ったし、たどった道も同じではなかった。

    という例がある。(以下、仏仏辞典の例文、エッセイの原文などにつけた訳は拙訳です。ただし、仏和からの例文の場合は、辞書の訳文をそのまま写しています。)

    小学館ロベールは、ずばりこの単語に「経歴」の訳語を当てていて、次のような例文をあげている。

    Il est devenu premier ministre à 37 ans, tous admirent son brillant parcours.
    37歳の若さで彼は首相になったが、このみごとな出世ぶりには誰もが驚嘆している。

    要するに「parcours」には、「行程」や「道のり」以外に、「経歴」、「たどった道」という意味での比喩的意味があるのだが、実はこれを載せていない仏和が意外と多かったりする。小学館ロベール以外では、プチ・ロワイヤル、ディコ、クラウンに、「 (人の)経歴、人生行路」とあるのみ。いずれも用例は挙げていない。しかも、手元にあるハードディスク版のクラウン(中身は第3版だと思う)にはこの意味が出ていないので、おそらく上記三つの辞書のうちのどれかが最近この意味を追加し、他の二つがこれに倣ったのではないかと推察できる。

    これが、競合効果ということ。辞書は新しいほどよい。そしてそれはただ、最新のコンピュータ用語が載っているとかいうことばかりではない。使い勝手という非常に地味なレベルで、仏和はいまだに進化しているのである。

    • lettres de noblesse

    日常的に用いられる比喩的言い回しとしては、次のようなものもあった。
    ce diplôme […] perdrait toutes ses lettres de noblesse.
    この資格はお墨付きを失ってしまうだろう。

    大衆化によるバカロレアの威光の低下を嘆く人々の意見を紹介している箇所。「lettres de noblesse」は文字通りには、「貴族授爵状」(ロワイヤル、プチ・ロワイヤル)のことだが、実際に文章の中で出会う可能性が高いのは、(歴史の専門家でない限り)むしろ比喩的意味のほうでしょう。

    Le Petit Robertは比喩的用法としながら以下の例文を掲げている。
    Ce festival a gagné ses lettres de noblesse.
    おかげでフェスティヴァルの格が上がった。

    たとえば有名人が訪れたことで祭典の重要度が増す、みたいな状況が想像できる。

    インターネットで検索してみると、ネット記事のタイトルでこんなものもあった。
    La science retrouve ses lettres de noblesse avec Obama
    オバマ政権で科学が名誉回復

    仏和だと、小学館ロベールが「Acquérir (conquérir, recevoir, obtenir) ses lettres de noblesse」を成句として載せていて、「(貴族授爵状を得る→)公に名を残す、公認の地位を獲得する」としている。例文はない。普及版ではディコが同様の対処をしていて、「正式に認知される」の訳を当てている。

    • 〈les, ces, ses + différents + 複数名詞〉

    次は語法の問題。
    Aujourd’hui, les différentes classes politiques françaises, [...] semblent plutôt favorables à [...]
    今日、フランスのさまざまな政治階層は、おおむね〔…〕に賛成のようである。

    複数名詞の前について「さまざまな」の意味になる「différent(e)s」 。不定冠詞は省略されるというのは常識だが、定冠詞、指示形容詞、所有形容詞などは付く。たとえばLe Petit Robertには、「les différents sens d'un mot」(一つの語が持っているさまざまな意味)という用例を挙げている。したがって、「冠詞なしで複数名詞の前に置かれる」としか書いていないロワイヤルの説明には明らかに問題がある。

    もちろんそれなりの文法書を見ればきちんとした解説はあるが、この程度のことは辞書に書いておいてほしいところ。この点、小学館ロベールはまさに完璧。

    Le Premier ministre nomme les responsables des différents établissements publics.
    首相はいろいろな公共機関の責任者を任命する。

    この文章がいいたいのは、首相がその責任者を任命する公共機関が「いろいろある」ということではない。いろいろある公共機関の責任者を首相が「みなひっくるめて」任命するということなのだ。つまり、定冠詞が付くことによって、「いろいろ」のニュアンスに、「全部」のニュアンスが加えられるということ。小学館ロベールはさらに、次の2例を比較対照させている。
    dans différents pays de l’Asie アジアのいくつかの国々で
    dans les [ces] différents pays de l’Asie アジア諸国で

    普及版の仏和でこの点に触れているのは、プチ・ロワイヤル、白水社ラルース、そしてプログレッシブだった。とくに説明、用例ともに十分といえるのは、白水社ラルース(さすがに読むための辞典というだけある)とプログレッシブ。
    Ces différents journaux ne m'intéressent pas. Trouvez-m'en d'autres.
    これらの新聞には興味がありません。ほかのを見せてくださ い。(白水社ラルース)

    Ses différents travaux sont tous bien accueillis par le public.
    彼(女)の多岐にわたる著作はどれも好評を得ている。(プログレッシブ)

    この話題、まだまだ続きます。

    学習のための仏和辞典、再考

    学生のころは「ロワイヤル」全盛だった。初級でもういきなりロワイヤルを買って、引きまくった。「プチ」のほうもすでにあったが、見向きもしなかった。本当のロワイヤルを文字通り使いつぶして、すぐさま2冊目を買った。これも今はもう表紙が取れそうになっている。そのうち、「ディコ」なる辞書が登場して(93年)、結構話題になった。もちろん、見向きもしなかった。途中で「スタンダード」に浮気してみたこともあったし、仏仏も使うようになったけど、それでもほぼ一貫して、座右の仏和といえばロワイヤルだった。

    昔は、本格的にフランス語を勉強するなら早い段階から中辞典を使えというのが常識だった。今でも基本的にそれは変わらないのだろうけれど、でもちょっと事情が変わっている気がする。翻訳の仕事をするようになってから、改めて仏和をよく使うようになった。教師になったので、辞書についてのアドバイスをしなければならなくなった。学習者用仏和をいろいろながめてみた。仏和辞典をめぐる状況は様変わりしていると思う。

    まずは、何があるのかリストにしてみた(参考はこちら)。

    • 学習仏和辞典
    『プログレッシブ仏和辞典 第2版』、小学館、2008年3月、3780円(税込)。
    『クラウン仏和辞典 第6版』、三省堂、2006年1月、3900円。
    『Le Dico 現代フランス語辞典』、白水社、2003年3月、3800円。
    『プチ・ロワイヤル仏和辞典 第3版』、旺文社、2003年1月、3885円。
    『白水社 ラルース仏和辞典』、白水社、2001年、4200円。
    『ジュネス仏和辞典』、大修館書店、1993年、3500円。
    • 仏和中辞典
    『ロワイヤル仏和中辞典 第2版』、CD-ROM付、旺文社、2005年2月、6300円。
    『新スタンダード仏和辞典』、大修館書店、1987年、3914円。
    • 仏和大辞典
    『小学館ロベール仏和大辞典』、小学館、1988年、28000円。
    『仏和大辞典』、白水社、1981年、28000円。

    とにかく、学習仏和のカテゴリーの充実ぶりがすごい。逆に言えば、中・大辞典の所のさびしさが目立つ。「ロワイヤル」と「小学館ロベール」は、不動の大関、横綱という感じだけれど、不幸なことにライバルがいない。(「スタンダード」と「白水社大辞典」はすでに引退というべきか。)ライバルがいてこその切磋琢磨が、このレベルには存在していない。残念。

    学習仏和の今の興隆の牽引力の一つになったのは、明らかに5年に一度ずつの改訂を重ねてきた「クラウン」のまじめさとバイタリティー。それも、ただ新語を取り入れるだの、語彙を増やすだの、表層的な改良にとどまらない。使いやすい辞書をめざして、一般的な単語に関しても訳語の工夫を重ねている。あとは「ディコ」の登場も大きかったのだろうと思う。初版当時は、それまで「たぶん」、「おそらく」とされてきたpeut-êtreに、はじめて「…かもしれない」の訳語をあてたなどというのが話題になりました(「たぶん」なら、probablementだものね)。「ディコ」はそういうところのセンスがよい。「プチ・ロワイヤル」は、兄貴の良いところを受けついでいる上に、ほかの辞書もよく研究しているという気がする。

    学習仏和のリストにあるもののうち、上の4つは甲乙つけがたい。収録語数が8000の「白水社ラルース」は引くための辞書ではなく、読むための辞書だから種類が違う。じゃあ、初学者が買うならどれがいいのか。個人的には、比べてみた結果、「ディコ」か「プログレッシブ」がいいと思った。「クラウン」や「プチ・ロワイヤル」は、これ一冊でまかないたいという人の要望に答えようという欲がある気がする。そのために収録語数が多すぎて、用例のためのスペースが犠牲になっている。

    この話題、しばらく続きます。