2019年12月11日水曜日

老母顕ちくる

土曜日、亡父三回忌のため、浜名湖畔岩松寺へ。

先々月の母方の伯母たちの姉妹会の話を聞く。
疎開先の藤枝を訪れ、当時の思い出を語り合ったのだそうだ。それぞれの記憶が断片的で、かけらとかけらを持ち寄るうちにそれらが補い合うように話が膨らんでいくような面白い体験だったという。
軽便鉄道が坂道に差し掛かると、男たちが降りて車両を押したこと。上空を通過するB29が焼夷弾を落とすことがあったこと。静岡の空襲の火の粉が藤枝にも降ったこと。
末っ子の叔母さんがその時のことを詠んだ短歌で、「顕ちくる」という言葉を知る。思い出が顕在化するというような意味と理解した。
面白い言葉なので、バスの待ち時間に飲み屋で思い立って、プルーストの「心の間歇」の場面を短歌にしてみた。

 短靴の紐解く手に涙落つ 老母顕ちくる常宿の闇

「顕ちくる」を写真の現像のように捉えて、過去のイメージが背景の「闇」から浮かび上がるような様子を思い描いたつもり。