2010年12月9日木曜日

カブールのセネガル人

フランス語のchameauは、ヒトコブラクダchameau à une bosseとフタコブラクダchameau à deux bossesを含めたらくだの総称。ちなみに西アジア原産のヒトコブラクダはchameau d'Arabie、中央アジア原産のフタコブラクダは chameau d'Asieとも呼ばれます。

これ以外に、とくにヒトコブラクダをさす言葉としてdromadaireがあります。

chameauという言葉自体はセム系言語から、ギリシャ語(kamêlos)、ラテン語(camelus)を経由してフランス語に入ってきたということですが、19世紀になると前述のような俗語的意味が生まれる。

19世紀初頭、この語は(dromadaire同様)女性に対する蔑みの言葉として使われるようになる(1828)。まずそれは「淫売」の意味で用いられ(「のりもの」の隠喩)、のちには最初の用法が忘れられて「つっけんどんな人」を意味するようになる。(Dictionnaire historique de la langue française
「のりもの」ね…。

日本語の「らくだ」も中国語の「駱駝」を借用したものだが(参照1参照2)、やはり19世紀初頭にこれまた前述のような経緯で別の意味が生じたと。まったくの偶然かもしれませんが、時期的には重なります。もしかすると、このころやはりフランス人もらくだの「実物」に出会うという体験をもったのではないか、などと夢想してしまう。なにはともあれ、日仏で意味はかなり対照的ですね。かたや役立たずの男、かたや淫売女というわけだから。

プルーストに戻りましょう。

ブーローニュの森にセイロン人がいる意味はわかった、それからchameauという言葉の含意もわかりました。ただ、その二つの結びつきがどうもしっくりこない。セイロンはイギリスの植民地です。セイロン人がフランス語を話しているというのがまずおかしい。それに、らくだってセイロンにはいないでしょう…。

じつはchameauのくだりにはもとネタがあります。ある年の夏、プルーストはいつものようにノルマンディーのカブールに滞在している。そのカブールにはセネガル人やモロッコ人がいたそうです。プルーストはそのアフリカ人たちと話している。そこにひとりの婦人が通りかかる。
あるたいへんに愚かなbête婦人が(こういうひとはカブールにはたくさんいます)この黒人たちを見物しにやってきました、まるで新奇な動物bêtes curieusesを見るみたいに。そして黒人たちのひとりに向かって言ったのです。「こんにちは黒んぼさん。」これが彼の神経を逆なでしたのでした。黒人はこう答えました。「おいら、黒んぼだけれど、あんた、らくだじゃないか。」(マドラゾ夫人への手紙、1915年初頭、拙訳)
黒人たちを「めずらしい動物」のようにあつかう婦人たちが、プルーストの目には「愚かな動物」のように映る。その「動物性」を暴いてしまうのが、黒人の発する「らくだ」の一言だったわけです。

セネガルは19世紀末以来フランスの植民地になっているし、モロッコも当時はフランスの保護領になっていた。だから彼らがフランス語を話すのは自然だし、サハラ砂漠のある国から来た人々なのだから「らくだ」の例えが出てくるのも飲みこめます。この話に不自然なところはない。

プルーストは『花咲く乙女』を書くときに、ブーローニュの森の植民地風俗の展示のエピソードとカブールでの愚かな婦人たちのエピソードを、なかば強引にくっつけたのでした。この一節がどうもいまいちすっきりと理解できない理由はそこにあるわけです。

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