2010年4月8日木曜日

辞書を引き比べてみる

カルチャーの翻訳講座でバカロレア200周年についてのエッセイを読んだ("Le baccalauréat a fêté ses deux cents ans !", Le francais par les textes, PUG, 2003)。

ジャーナリズム文体で、フランス語としてはごく日常的に使われている表現を用いている。案外こういう表現の中に、仏和辞典が対応していないものがあったりするのである。それが、いろいろな仏和を引き比べてみる機会になった。

  • parcours

    たとえばこのエッセイの最初の段落で、バカロレアがこのように定義されている。
    une étape importante dans leur parcours scolaire.
    若者の学歴の中の大事な一ステップ

    この「parcours scolaire」は、「学歴」でいいでしょう。履歴書に、「学歴」、「職歴」って書くときには、「parcours scolaire」、「parcours professionnel」。第一、 「履歴書curriculum vitæ」も、ラテン語で「course de la vie」(人生の歩み)という意味だ。あるいは、雑誌などのインタヴューで「 Quel est votre parcours ?」と言えば、それは 「あなたの経歴をお聞かせいただけますか」ということ。
    Le Petit Robertにも、
    Ils n'ont pas suivi, pas eu le même parcours.
    彼 らはめざすところが違ったし、たどった道も同じではなかった。

    という例がある。(以下、仏仏辞典の例文、エッセイの原文などにつけた訳は拙訳です。ただし、仏和からの例文の場合は、辞書の訳文をそのまま写しています。)

    小学館ロベールは、ずばりこの単語に「経歴」の訳語を当てていて、次のような例文をあげている。

    Il est devenu premier ministre à 37 ans, tous admirent son brillant parcours.
    37歳の若さで彼は首相になったが、このみごとな出世ぶりには誰もが驚嘆している。

    要するに「parcours」には、「行程」や「道のり」以外に、「経歴」、「たどった道」という意味での比喩的意味があるのだが、実はこれを載せていない仏和が意外と多かったりする。小学館ロベール以外では、プチ・ロワイヤル、ディコ、クラウンに、「 (人の)経歴、人生行路」とあるのみ。いずれも用例は挙げていない。しかも、手元にあるハードディスク版のクラウン(中身は第3版だと思う)にはこの意味が出ていないので、おそらく上記三つの辞書のうちのどれかが最近この意味を追加し、他の二つがこれに倣ったのではないかと推察できる。

    これが、競合効果ということ。辞書は新しいほどよい。そしてそれはただ、最新のコンピュータ用語が載っているとかいうことばかりではない。使い勝手という非常に地味なレベルで、仏和はいまだに進化しているのである。

    • lettres de noblesse

    日常的に用いられる比喩的言い回しとしては、次のようなものもあった。
    ce diplôme […] perdrait toutes ses lettres de noblesse.
    この資格はお墨付きを失ってしまうだろう。

    大衆化によるバカロレアの威光の低下を嘆く人々の意見を紹介している箇所。「lettres de noblesse」は文字通りには、「貴族授爵状」(ロワイヤル、プチ・ロワイヤル)のことだが、実際に文章の中で出会う可能性が高いのは、(歴史の専門家でない限り)むしろ比喩的意味のほうでしょう。

    Le Petit Robertは比喩的用法としながら以下の例文を掲げている。
    Ce festival a gagné ses lettres de noblesse.
    おかげでフェスティヴァルの格が上がった。

    たとえば有名人が訪れたことで祭典の重要度が増す、みたいな状況が想像できる。

    インターネットで検索してみると、ネット記事のタイトルでこんなものもあった。
    La science retrouve ses lettres de noblesse avec Obama
    オバマ政権で科学が名誉回復

    仏和だと、小学館ロベールが「Acquérir (conquérir, recevoir, obtenir) ses lettres de noblesse」を成句として載せていて、「(貴族授爵状を得る→)公に名を残す、公認の地位を獲得する」としている。例文はない。普及版ではディコが同様の対処をしていて、「正式に認知される」の訳を当てている。

    • 〈les, ces, ses + différents + 複数名詞〉

    次は語法の問題。
    Aujourd’hui, les différentes classes politiques françaises, [...] semblent plutôt favorables à [...]
    今日、フランスのさまざまな政治階層は、おおむね〔…〕に賛成のようである。

    複数名詞の前について「さまざまな」の意味になる「différent(e)s」 。不定冠詞は省略されるというのは常識だが、定冠詞、指示形容詞、所有形容詞などは付く。たとえばLe Petit Robertには、「les différents sens d'un mot」(一つの語が持っているさまざまな意味)という用例を挙げている。したがって、「冠詞なしで複数名詞の前に置かれる」としか書いていないロワイヤルの説明には明らかに問題がある。

    もちろんそれなりの文法書を見ればきちんとした解説はあるが、この程度のことは辞書に書いておいてほしいところ。この点、小学館ロベールはまさに完璧。

    Le Premier ministre nomme les responsables des différents établissements publics.
    首相はいろいろな公共機関の責任者を任命する。

    この文章がいいたいのは、首相がその責任者を任命する公共機関が「いろいろある」ということではない。いろいろある公共機関の責任者を首相が「みなひっくるめて」任命するということなのだ。つまり、定冠詞が付くことによって、「いろいろ」のニュアンスに、「全部」のニュアンスが加えられるということ。小学館ロベールはさらに、次の2例を比較対照させている。
    dans différents pays de l’Asie アジアのいくつかの国々で
    dans les [ces] différents pays de l’Asie アジア諸国で

    普及版の仏和でこの点に触れているのは、プチ・ロワイヤル、白水社ラルース、そしてプログレッシブだった。とくに説明、用例ともに十分といえるのは、白水社ラルース(さすがに読むための辞典というだけある)とプログレッシブ。
    Ces différents journaux ne m'intéressent pas. Trouvez-m'en d'autres.
    これらの新聞には興味がありません。ほかのを見せてくださ い。(白水社ラルース)

    Ses différents travaux sont tous bien accueillis par le public.
    彼(女)の多岐にわたる著作はどれも好評を得ている。(プログレッシブ)

    この話題、まだまだ続きます。

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