もうひとつ、サン=テグジュペリの本を翻訳する講座が開講しています。なにをいまさらと言われそうな、『星の王子さま』。
正直言って開講前はこちらも不安だった。何もなかったらどうしようって…。
なにしろ既訳はすでに20を越えています。加藤晴久、『憂い顔の「星の王子さま」』なんていう、これら既訳のあらさがし本(しかもおそるべく正当な、反論の余地のないほどの!)までが世に出ている。いまさら、われわれが訳してみる必要なんてあるのでしょうか。
結論から言うと、やはりやる意味は大いにあったと思う。参加者は4人でしたが、この4人の文章がまたみごとなほどに、各人各様なのですね。結局、最後に重要になるのは、そういうことじゃないか。翻訳として正確であることは、もちろん大事です。でも、それだけじゃだめなんで、誤訳がどうのこうのって話をしていると、どうしてもその辺が見失われがちになる。
私自身の訳はこんな感じになりました。第1章だけ公開します。
六歳のときのことだけれど、すごい絵を見たんだ。それは原生林のことを書いた本の中で、タイトルは、『ほんとうにあった話』。大蛇ボアが獣を呑みこもうとしているところだったな。その絵を再現してみると、こんな感じ。
本にはこう書いてあった。「大蛇ボアは獲物をまるごと、かまずに呑みこんでしまう。するとあとはもう動くこともできず、消化に必要な半年の間眠りつづけるのである。」
それでジャングルで起こる出来事についてあれこれ考えたあげく、ひとつ自分でもってことで、色鉛筆を手にして描いてみたら、生まれてはじめての絵が完成したってわけ。僕の作品その一、それはこんなふうだったよ。
僕はこの大傑作をおとなのひとたちに見せて、この絵が怖いかってきいてみた。
みんなは答えたね、「帽子が怖いことがあるかい」って。
僕の絵に描いてあったのは、帽子じゃなくて、大蛇ボアが象を消化しているところだったんだ。それで僕は、おとなにもよく分かるように、ボアのお腹の中を描いた。おとなっていうのは、説明しないと分かってくれない人たちだからね。僕の作品その二はこんなのだった。
内側だか外側だか知らないが大蛇ボアの絵はもうやめにして、地理や歴史や算数や文法のことを考えたほうがいい、おとなのひとたちにはそう言われた。そんなわけで、六歳にして、僕は画家としての華々しいキャリアを放棄したというわけ。作品その一と作品その二の評判が芳しくなかったんで、やる気がそがれてしまったんだな。おとなは自分じゃ何にも理解しない。いつもいつもわけを説明してあげなければいけないっていうのは、子供としてはほんとうにうんざりすることだよ。
おかげで僕はほかの職業を選ばなければならなくなって、飛行機の操縦を覚えた。全世界をあらかた飛びまわったさ。そうすると地理は、なるほどおっしゃるとおりで、ずいぶん役に立ったよ。僕は土地を一目見ただけで、それが中国なのかアリゾナなのか言うことができた。夜の間に航路からそれてしまったような時には、これがとても大事になるんだ。
今までの僕の人生には、そんな堅実なひとたちが山ほどいて、つきあいは山ほどあったよ。ずいぶん長い間、僕はおとなたちに交じって生きてきた。彼らをじっくり観察したんだ。それでも、彼らについての僕の見かたはあいかわらず変わらなかったけれどね。
おとなの中でもこの人ははちょっと分かっているみたいだって人に出会ったときには、僕の作品その一をためしに見せるようにしていた。いつだって手もとに置いていたからね。ほんとうに分かっている人なのかどうかが知りたかったんだ。でも、いつでも相手は、「帽子です」って答えたよ。だから僕は、大蛇ボアの話も、原生林の話も、星の話もすることはなかった。相手に合わせてつきあっていたわけで、ブリッジやゴルフや政治やネクタイの話をするようにしていたんだ。そうすると、おとなのひとは、こういう常識のある人間と知り合いになれて良かったと満足そうだったよ。今回、とくに第1章は、まず自分で訳したあとに、原文と付き合わせながら既訳のひとつひとつを仔細に見ていったのですが、そんな中であらためて感じたのは、内藤訳のあの独特の強さに並ぶべきものは、新訳の中に,も見あたらないってことなのですね。たとえば、あまりにも印象的な冒頭部分。
六つのとき、原始林のことを書いた「ほんとうにあった話」という、本の中で、すばらしい絵を見たことがあります。それは、一ぴきのけものを、のみこもうとしている、ウワバミの絵でした。これが、その絵のうつしです。
その本には、「ウワバミというものは、そのえじきをかまずに、まるごと、ペロリとのみこむ。すると、もう動けなくなって、半年のあいだ、ねむっているが、そのあいだに、のみこんだけものが、腹のなかでこなれるのである」と書いてありました。(内藤濯訳、『星の王子さま』、岩波少年文庫、七頁)私なんぞはこれ、一分のすきもない名文といいたい心持です。ちなみに、「けもの」と「こなれる」には傍点。傍点、ブログでは打てないので、太字にしてあります。なんでまた傍点なのか。説明不能ですけれど、すご味がありますでしょう。
だから、最終的には、なにが正しいかだけじゃない。ひとはそれぞれ、世界を愛するその仕方が違うってことが肝心なのです。それって結局、サンテクスがこの作品で言いたかったことじゃないでしょうか。
ともあれ、私はといえば、重箱の隅つつき家、人のあらさがし家みたいなところもありますので、どうしたっていろいろとさがしてしまいます。
たとえば、第1章のこの部分はどうなのか、
そこで、ぼくは、しかたなしに、べつに職をえらんで、飛行機の操縦をおぼえました。そして、世界じゅうを、たいてい、どこも飛びあるきました。なるほど、地理は、たいそうぼくの役にたちました。ぼくは、ひと目で、中国とアリゾナ州の見わけがつきました。夜、どこを飛んでいるか、わからなくなるときなんか、そういう勉強は、たいへんためになります。(内藤濯訳、九頁)
J’ai donc dû choisir un autre métier et j’ai appris à piloter des avions. J’ai volé un peu partout dans le monde. Et la géographie, c’est exact, m’a beaucoup servi. Je savais reconnaître, du premier coup d’œil, la Chine de l’Arizona. C’est très utile, si l’on s’est égaré pendant la nuit. (Antoine Saint-Exupéry, Le Petit Prince, coll. Folio, Gallimard, 1999, p. 14.)ここは単純に、こう突っ込みたくなるところなのですね。「夜、どこを飛んでいるか、わからなくな」ったときに、地理の知識って役に立ちますか? 暗闇の中を飛行しながら、「ひと目で、中国とアリゾナ州の見わけ」がつくなんて、ありえるでしょうか。
これは内藤訳だけの問題ではなくて、新訳のどれを見てもこの部分の訳し方は基本的に変わっておらず、したがってあいかわらず生じざるをえない疑問です。
私は「夜の間に航路からそれてしまったような時には、これがとても大事になるんだ」と訳していますが、これはまよう瞬間と、土地を目にして地理学の知識を活用する瞬間とのあいだに時間差があるという解釈からでした。要するに、朝になってはじめて、しかし瞬時に、自分の誤りに気がつくことができるということ。
ところが、かなり「アカデミックな」山崎庸一郎は、この一節の後半部分を以下のように訳したあとで、さらに註をつけています。
地理が大いに役立ったことは確かです。私はひと目で中国とアリゾナ州を見分けることができるようになりました。夜間にまよってしまったとき、このことはとても役に立ちますものね。
(註)そのような現場では、たとえ中国とアリゾナ州を地図上ですぐ見分けられるようになっていたとしても、そのような机上の地理の知識はなんにもならない。「大いに役立ちますものね」は皮肉。つまり山崎氏の解釈では、ここで問題になっている「地理」とはあくまで「机上の」知識のことであり、「ひと目でdu premier coup d’œil」で土地を見分けることができるのは地図の上のことでしかない。なるほど、「中国」や「アリゾナ州」などという地名がいささか現実ばなれしているし、あとで出てくる「地理学者」に関する一節のことを考えても、サン=テグジュペリがそのような「皮肉」をこめている可能性は理解できないではない。
しかし、そうだとすると、本当にひねくれたものの言い方をする人だと思いませんか、サン=テグジュペリという人は。
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