2008年2月12日火曜日

パースと翻訳論

ネットで公開されているCécile Cosculluela の博士論文Traductologie et sémiotique peircienne : l'émergence d'une interdisciplinarité (Université Michel de Montaigne-Bordeaux III, 1996)を斜め読みした。

パース記号論の立場から見た翻訳論。著者によれば 、この種のアプローチの先駆としてはJanice Deledalle-Rhodes(フランスにおけるパース研究の第一人者だったGérard Deledalle夫人)のいくつかの論文があるが、「この学際的問題に関して今日英語で読むことのできる唯一の著作」は、Dinda L. Gorlée, Semiotics and the Problem of Translation : With special reference to the semiotics of Charles S. Peirce, Amsterdam and Atlanta, GA: Rodopi, 1994なのだそうである。

そもそも学問分野としての翻訳論(translation studies)自体歴史が浅いのだが、一方で、古代以来の文学史のなかには翻訳の理論と実践をめぐる重要な著作が多数存在する。この翻訳論史の業績がまとまってきたのはつい最近のことで、代表的なものとしては、Michel Ballard, De Cicéron à Benjamin, Presses Universitaires de Lille, 1992と、Andre Lefevere, Translation/History/Culture : A Sourcebook (Routledge, 1992)があるとのこと。

さて、Cosculluela のこの長大な博士論文の特徴は、パース記号論の翻訳論への適用を、翻訳論史の記述のしなおしから始めているところ。古代から20世紀初めまでの言説史で全体の3分の1(I~IV章)。さらに、言語学ベースの翻訳論から、最後は前述したパース記号論に基づく翻訳論まで、20世紀の学説史の紹介で全体の3分の2までいく(V~VII章)。一つ一つの翻訳理論が、じつに律儀に要約されている。各章の終わりでは、そこで論じられたことがていねいに復習される。(だから、基本的に歴史のパートは各章の「結論」だけ読んで、大事そうなところだけ章の中に入っていけばよいのである。)パースが一応の導きの糸だが、実際はあまり関係ない。パースについての予備知識も要らない。

この博士論文を読む最大のメリットはこれ。注意深く読んだのは、シュライアマハー、ベンヤミン、ヤコブソンに関するページ。現代の理論家では、Meschonnic、Steiner、Etkind(ヴァレリーに依拠している)が個人的にヒットした。パース記号論的な翻訳論については当然熟読。Gorléeの本などは引用が豊富にあって、これだけで内容がだいたい理解できてしまった(ような気になった)。

Cosculluela 論文の第2の特徴は、パースの「記号言語学」の専門家であるフランスのJoëlle Réthoréを援用している点。Cosculluela さんいわく、Réthoré 教授の博士論文La sémiotique linguistique de C.S. Peirce (Université de Perpignan, 1988)は「いまなお、パース記号論と言語学のこの共通領域を切り開く唯一の試みでありつづけている」という。そういうわけで、Réthoré学説の大まかな紹介のあと、いよいよパースそのものの話へ。Gorléeがすでに扱った問題だが、パース記号論において「翻訳」という概念がいかに重要であったかという点を、豊富な文献知識を駆使しつつさらに明らかにしていく。この部分はすこぶる勉強になった。

ここ(VIII章)までで、全体の6分の5。残りの部分で、ついに独自の翻訳論が語られる(IX章)のだが…、率直にいって面白くない。どうみてもありきたりとしか思えない話を、パースのジャルゴンを駆使して語るというだけのこと。フランスのパース学者には多いパターンかな。

これまでパース関連の文献は、フランスの図書館で簡単に手に入るものに限ってきた(Gérard Deledalle、Nicole Everaert-Desmedt、Jean Fisetteなど)。しかしCosculluela によれば世界の最先端であるはずのRéthoréの博士論文でさえ、手に入りやすい形で出版されていないというこのフランスの状況は何なのでしょう。今回調べてみたところ、Réthoréのその他の小さい論文も、世界各地のマイナーな雑誌に分散しているという状況。唯一インターネットで読めるのが、これ

プラグマティックな言語論(語用論)とパースとの関係は、前から気になっていた。とくに言語行為論と結びつけたものがあればいいなと思っていた。今回この博士論文を読んで、Gorléeの中にそれがあることが分かった。Cosculluelaはこれをあたかも新説であるかのように紹介しているが、本当にそうなのか。統語論、意味論、語用論の三分類を創始したのがチャールズ・モリスであるということも、Gorléeの要約を読みながら知った。だとすれば、語用論(pragmatics)はパースのプラグマティズム(pragmatism)から来たのだと考えてよいのだろう。実際ウィキペディアの「チャールズ・W・モリス」の項には、そのように書かれている。

それからこれもウィキペディアで発見したこと。「言語行為」の項によると、パースは言語行為論の元祖と考えられているのだそうです。(あら、ま。)この問題を扱った論文が、英語圏では1981年にすでに書かれている。

パースはもう少しちゃんと勉強したい。もうフランス語圏から出ないとだめだわ。

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